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旭川酒作り歴史探訪 ~プロローグ~

旭川の地勢

旭川は、川に囲まれた上川盆地で、面積は747.61平方メートル。海抜100~200メートル。 周辺を大雪山に囲まれ、美瑛川・牛朱別川・忠別川・石狩川が流れ、水量の豊富なこともでも知られている。 気候は、内陸的気候、寒気が厳しく、夏は高温で温度差が大きい。5月の初めは温暖な南よりの風が吹き、空気も乾燥し、 災害の危険が増え、雪解けで洪水も起こりやすい。最も暑いのは、7月25日~8月10日ごろで、 冬は三寒四温の連続で根雪は11月20日頃から始まる。また、明治35年には、旭川で氷点下41度を記録し、当時日本最低気温となる。

開拓

1807年 近藤重蔵 利尻からの帰途上川地方を探検
1858年 松浦武四郎が上川探検(アイヌ人306人確認)
1877年(明治10年) 鈴木亀蔵(通称 亀吉)が現亀吉町に雑貨商を営む。(上川最初の和人定住者)
1885年(明治18年) 岩村道俊・永山武四郎などが近文山から上川盆地を調査、建碑する
当時は、山奥の上川よりも空知・樺戸・雨竜地区の開発が先であるとの論争もあり無謀ではないかという声が多かった。
忠別太を足場に亀吉・曙に定住始まる。
1886年(明治19年) 空知太(滝川)~忠別太(旭川)までの上川仮道路が開通。囚人の労役によるもので、わずか数ヶ月でこぎつける。
1890年(明治23年) この年の9月20日旭川村・永山村・神居村の3村を置く。当時は153戸697人
1891年(明治24年) 神居・雨粉で杉沢繁吉が水稲の作付を開始するも失敗。
1898年(明治31年) 滝川~旭川間鉄道開通
1899年(明治32年) このころまでが稲作の試作期、その後拡張期に入る
理由
  1. 自然環境が適していた。
  2. 畑作中心だったが、小豆の価格暴落のため稲作に転進。(日露戦争)
  3. 稲作の収益率の高さ
  4. 旭川独自の直播器(たこあし)の発明と普及。
1904年(明治37年) 旭橋完成・第7師団札幌から旭川に移転

第7師団の設置は近文地区の土地高騰を招き、当時住んでいたアイヌ人達を名寄方面に転住しようとしたため、相次ぐトラブルとなる。

旭川の発展の分岐店は、滝川~旭川間の鉄道の開通と、第7師団の移転が大きな影響をもたらす。
当時の旭川は、空知太(滝川)までしか鉄道が来ておらず、運搬費も馬車や人力などでしばしば通行止めになることも多かった。
そのため、陸の孤島と呼ばれ、自給自足の生活を余儀なくされた。開通により移入する物価も安くなり、人口も急激に増加。旭川は大きく発展した。 また、第7師団が設置されたことにより、人口の増加、商業の発展、そして「北の京」との位置付けとなり札幌と2大都市を形成していくこととなる。

屯田兵

意義

  1. 北方問題に対処する軍事的な要求
  2. 士族の授産救済(就職斡旋)
  3. 本道開拓における労働力の確保
  4. 警備・拓殖に関する経費削減

当初の屯田兵は、士族中心であったのに対し、後に農民中心へと変化していった。

明治24年 永山村に400戸入村
明治25年 旭川村に400戸入村
明治26年 当麻村に400戸入村

人口の推移

明治23年 153戸 697人
明治33年 2925戸 12650人
明治35年 4482戸 16441人
明治39年 6299戸 29373人

学校

明治24年  学校として永山村に久教淵が教鞭を振るうが、数ヵ月後 廃校。

明治25年  共成学が1条9丁目に設立
その後、第一分校(大成小) 上川第一尋常小(日章小) 上川高等小(中央小)

明治30年代から次第に体制を整えていった。

工業の発展

  • 工業が中心でまず、酒造業が興り、どろの木を原料にマッチ軸の器を作る工場が生まれる。
    農林産資源を原料
  • 明治30年代から徐々に発展を遂げ、木工業・精米所・製氷所が盛んになる
    旭川実業協会が6条10丁目に建築
  • 大正10年の会社数  株式会社 55社  合名会社 36社  合資会社 65社  計156社
  • 金融業は、糸屋・北海道拓殖・北海道・北門・十二・百十三・共栄貯金・北門貯蓄などにより、旭川組合銀行を組織。
  • 合同酒精(株)、函館製菓、帝国、明治製菓が旭川工場(支店)を設置

交通の変化

明治19年 上川仮道路開通
明治31年 滝川~旭川間鉄道開通。旭川駅開業。
明治39年 旭川駅~師団方面の馬車鉄道開通
大正6年 乗合自動車が登場
大正14年 宮下通りから四条通りまでの舗装が完成
大正15年 旭川電気軌道(株)が馬車鉄道に変わり開通
昭和3年 旭川市街軌道(株)が設立
昭和5年 市内の洪水による水害が毎年のように起きていたため、牛朱別川の河川の切り替え工事を行い、 旧常盤橋付近をロータリー式の交差点とする。永隆橋から亀吉島までを埋め立て。

戦時体制中の旭川

戦時統制経済の中で多くの軍需工場が設置される。

合同酒精 : アセトン・ブタノール
国策パルプ工場 : 製紙会社
日本タンニン工場 : 漁網染料として欠かすことの出来ないタンニンを製造
東芝旭川工場 : 昭和20年発足(現在の東芝ホクト電子)
北海道新聞 : 太平洋戦争のため、11社が統合

昭和20年7月15日旭川に空襲 パルプ工場や松岡木材が被害にあう

旭川の中心部は建物疎開を行う

戦後の旭川

戦後の混乱期、インフレや食糧不足のなか、緑橋通りや3条通15丁目にマーケット(市場)が並ぶ。

旭川市役所建設

昭和33年11月3日  完成。旭川中学出身 佐藤武夫(早稲田大学教授設計)

ロータリー平和塔の上に母の鐘設置。

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